滝野瓢水(1684-1762)俳人

 

  手に取るな やはり野に置け れんげ草

 

 この句は有名であるが、この句の作者、滝野瓢水という人物についてはあまり世に知られてゐない。この句は遊女を身請けしやうとする友人に贈った句だと言はれる。人間の浅はかな計らいを棄てよというメッセージが伝はってくる。

 

 瓢水は「續近世奇人伝」によると、本名は滝野新之丞(しんのじょう)。播磨の生まれ、千石船を持つほどの豪商叶屋(かのうや)の息子。しかし、放蕩を尽くして全財産を使ひ果たし、すっかり貧しくなつてしまつた。次々に土地財産を売り払ひ、立ち並んでゐた蔵の最後のひとつを手放すこととなつたその日の句が

 

  蔵賣つて日当たりのよき牡丹かな

 

 全く反省の色など見えない。

 

 あるとき、ひとりの僧が訪ねて来る。瓢水は薬を買ひに行ってゐて、留守。戻ってきた瓢水にその僧が言ふ、「悟りを得た者が死ぬのを嫌がるのか」と。

 その時の句が

 

  濱までは 海女も蓑着る 時雨哉

 

 有名な禅僧白隠が好んだ句

  有ると見て 無きは常なり 水の月

 

も瓢水の句。