正氣の歌

天地有正氣 雜然賦流形  天地、正氣あり。雜然として流形を賦(くば)る。

下則爲河獄 上則爲日星  下は即ち河獄となり。上は即ち日星となる。

於人日浩然 沛乎塞蒼溟  人に於いては浩然といふ。沛乎として蒼溟に塞(み)つ。

皇路當淸夷 含和吐明庭  皇路淸夷(せいい)に當れば、和を含みて明庭に吐く。

時窮節乃見 一一垂丹淸  時窮して節乃ち見ゆ。一一丹淸に垂れる。

 

<私訳>

天地、正氣あり。様々な形をとつて流れくる。下は即ち黄河や泰山に、上は即ち日や星となる。人においては、浩然の氣といふ。勢いよく天に満ち溢れる。清く澄んだ君の道で野蛮なモンゴルに立ち向かへば、平安に満ちた明るい言葉が宮廷に回復する。ひとたび、国家が窮乏すると、忠誠が顕れ、忠誠者のひとりひとりが歴史に残る。

 

在齋大史蕑 在晉董孤筆  齋(せい)に在りては大史が蕑 晉に在りては董孤の筆。

在秦張良椎 在漢蘇武節  秦に在りては張良が椎。漢に在りては蘇武が節。

爲嚴将軍頭 爲嵆侍中血  嚴将軍が頭となり。嵆侍中(けいじちゅう)が血となり。

爲張睢陽齒 爲顔常山舌  張睢陽(ちょうすいよう)の歯となり。顔常山が舌となり。

或爲遼東帽 淸操厲冰雪  遼東の帽(ぼう)となり。淸操冰雪よりも厲(はげ)し。

或爲出師表 鬼神泣壯烈  或いは出師の表となり。鬼神壯烈(さうれつ)に泣く。

或爲渡江楫 慷慨呑胡羯  或ひは江を渡る楫(かい)となり。慷慨、胡羯を呑む。

或為撃賊笏   逆豎頭破裂  或いは賊を撃つ笏と為り、逆豎(ぎゃくじゅ)の頭、破裂す。

 

<私訳>

春秋の時代、齊の國の大史、蕑がさうである。晉にあつては董孤の筆。秦に在つては張良が始皇帝を撃たうとした鐵椎ともなり、漢の時代、蘇武が19年間持つて放つことがなかつた節ともなり、三國の嚴将軍が斬られるのを恐れぬ頭となり、西晉にあつては、惠帝を身をもつて守つた嵆侍中の血ともなり、唐においては睢陽を死守した張巡の憤りに砕けた歯ともなり、常山を死守した顔杲卿(がんこうけい)の弁舌ともなり、三國魏の管寧(かんねい)が遼東にあつては、ひたすら学問に打ち込み、人格高潔にして、氷潔く、淵清きが如き、常に身に纏つてゐた皂帽(そうぼう)、布襦袴(ふじゅこ)、布裙(ふくん)ともなり、蜀漢の諸葛孔明(しょかつこうめい)の壯烈な鬼神を泣かせるほどの*1「出師の表」ともなり、西晉の祖逖(そてき)が中原を奪還するために、長江を渡る舟の楫を打つた誓いともなり、その慷慨は胡羯を呑む。唐の段秀実が反乱者朱沘(しゅせい)頭をたたき割った笏(しゃく)ともなる。

註*1「出師の表」(すいしのひょう)http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/65535650.html

 

 

 

 

是氣所磅礴 凛烈萬古存  是れ、氣の磅礴(ぼうはく)する所、凛烈として萬古に存す。

當其貫日月 生死安足論  其の日月を貫くに當たりては 生死、安くんぞ論ずるに足らん。

地維賴以立 天柱賴以尊  地の維(つな)、賴りて以って立ち 天柱、賴りて以て尊し。 

三綱實系命 道義為之根  三綱は實に命を系(か)け、道義、之を根と為す。

 

<私訳>

正氣があまねく行き渡るところ、凜として永遠に歴史を貫いてある。

正氣は日月さへ貫き、自分の生死などは論ずるに足りない。

正氣によって大地は存在し、天もこの正氣によつて尊厳を保つ。

三綱(君臣・親子・夫婦の三つの大綱)も正氣によってその命を繋いでゐる。

道義は正氣を根幹とする。

 

嗟予遭陽九 隷也實不力  嗟あ、予は陽九に遭い、隷(とらわ)れる也實に力あらず。

楚囚纓其冠 傳車送窮北  楚囚、其冠を纓(むす)ぶ。傳車もて窮北に送らる。

鼎鑊甘如飴 求之不可得  鼎鑊(ていかく)甘きこと飴の如く、之を求むるも得べからず。

陰房闃鬼火 春院閟天黑  陰房に鬼火は闃(さび)しく、春の院は天に閟(と)ざして黑し。

 

<私訳>

ああ、予は厄難に遭い、囚われの身でまことに力もない。楚の囚人がその冠をつけて楚国を忘れなかつたやうに 、予は南宋の家臣であり護送車によって極北・元の都へ送られる。

釜茹でにされることも飴のように甘いのに、之を求めても得られない

暗い牢屋は静かで鬼火が出て、春であるのに牢屋の天黒は閉ざしてゐる。

 

牛麒同一皂 鷄棲鳳凰食  牛と麒は一つの皂(おけ)を同にし、鷄棲で鳳凰は食らう。

一朝蒙霧露 分作溝中瘠  一朝、霧露を蒙らば、分(あま)んじて溝中の瘠(せき)と作らん。

如此再寒暑 百沴自辟易  かくの如く再び寒暑、百沴(ひゃくれい)、自ら辟易(へきえき)す。

嗟哉沮洳場 為我安樂國  嗟哉、沮洳(しょじょ)の場も、我が安樂の國と為らん。

豈有他繆巧 陰陽不能賊  豈に他の繆巧(たくらみ)有らんや、陰陽も賊するあたわず。

顧此耿耿在 仰視浮雲白  顧てこの耿耿(こうこう)として在り、仰ぎ視て浮雲白ければなり。

悠悠我心悲 蒼天曷有窮  悠悠として我が心は悲しむ、蒼天、曷(なん)ぞ窮み有らん。

哲人日已遠 典刑在夙昔  哲人、日に已(すで)に遠く、典刑は夙昔(しゅくせき)に在り。

風檐展書読 古道照顏色  風檐に書を展げて読めば、古の道、顏色を照らす。

 

<私訳>

 牛(他の囚人)と麒麟(文天祥)が餌箱を同じにし、鶏(他の囚人)小屋で鳳凰(文天祥)が飼われてゐる。ある朝、露霧に晒され、屍となつて溝に棄てられることも甘んじて受けやう。かくの如く夏冬が二回過ぎたが、病魔・悪鬼は近寄ってこない。ああ、じめじめしたこの場も、私には楽園になる。他に策を弄することがあろうか。陰陽も私を損なうことが出来ない。顧みて、この耿耿とした正気が在るからである。仰ぎ見ると浮雲が白いのを霊視する。悠々として私の心は悲しむ。蒼い空にだうして窮みがあろうか。哲人がいた日々は既に遠い昔だが、手本となるべきあり方は昔からある。風が吹く軒で書物を展げて読めば、古の道が私の顔を照らしてくれる。