ロバート・ブラウニング再読 
                                2001年8月

                                                       上田染谷丘高等学校
                                                               小山 文夫

 

 拙宅で小さな聖書の集ひを持つようになつて18年が経つた。今年の4月からヨハネ伝に入り、この6月11日(日)は第2章の1節から11節まで「カナの婚礼」を講じた。
 葡萄酒が尽きたとき、水瓶に満たされた水が一瞬にして葡萄酒に変へられたイエスの第1の徴が行われたところである。「行き詰まつた時こそ好機である」というメッセージがロバ-ト・ブラウニングの"Rabbi Ben Ezra" を再読するきつかけとなつた。
 大学時代、恩師小池辰雄先生にロバート・ブラウニングを研究するように勧められ、読み始めたものの、その電報のやうなゴツゴツとした難解な英詩は、一方でT.S.・エリオットやディラン・トマスなどを読んでゐた私には、まだ期が熟さず、じつくり取り組むきつかけは掴めないままであつた。
 五十路を過ぎた今、ブラウニングの詩は私の霊魂に古寺の梵鐘のやうに響いてくる。
この夏はブラウニングと共に明けた。拙訳をきつかけに原文でブラウニングを愛読する人の現れんことを祈る。
 
                                ラビ ベン エズラ
                                             ロバート・ブラウニング作

                              小山文夫訳

 

ⅰ  我と共に歳をかさねよ
   最善(ベスト)はこれからだ
       人生の最後(ラスト)、そのためにこそ最初(ファースト)は作られたのだ
       我らの時は主の御手のうちに
       神は言はれる「全てを私は計画した
       若者は半ばを示すのみ、神を信頼せよ、怖れず全てを見よ」と
      
ⅱ  さにあらず、花を集めて
  「どのバラにしやうか、どの百合を残し、
   一番の思いでにしやうか」といふ若者の嘆息にも
   さにあらず、星辰に驚嘆し
  「木星ではない、火星ではない、我が理想は全て混ぜ合はせ
   尚かつそれら越えるもの」といふ若者の憧れでも

ⅲ  かかる望みや怖れにあらず
   青春の短期間を無に帰すべきにあらず
   私は断固抗議する、馬鹿な、なんと的はずれなと
   むしろ私は懐疑を尊ぶ
   下等な存在は懐疑もなく生存する
   形の整つた出来上がつた土塊は閃光に身震ひすることもない

ⅳ  誠に貧弱な人生の誇りよ
   人もし享楽にのみ形造られしならば
   ただ求め、見出し、ご馳走にありつくのみならば
   かかる饗宴が終はれば、
   人に終はりあるのみ
   飽食の鳥が煩悶するか、満腹の獣が疑惑に打ち震へるか

ⅴ  歓べ、我らこの方に連なりあることを
   ただ与へるのみで
   奪ふことなく、働きかけるのみで受けることをしないお方に
   閃光が我らの土塊にきらめく
   ただ奪ひ取る輩よりも与へたまふ神に
   我らより近しと、信ぜずにはおれない

ⅵ  されば平坦な地を荒れ地に変へる
   どんな無下な対応をも歓迎せよ
       座するも立つをも得しめず、ただ進ましめる棘をも
       我らの喜びの四分の三は苦しみであれ
       奮闘せよ、苦労をものともせず
       学べ、苦痛を意に介せず、断行せよ、その苦闘を呟(つぶや)かず
     
ⅶ  それゆゑ、嘲(あざけ)りつつ
   慰める逆説 ―
       人生は失敗と見えるところで成功する
       私がなりたいと切望して
       なれなかつたことが、私を慰める
       獣になつてしまったかもしれないが、そこまで落ちることは願はなかつた
   
ⅷ  獣でなくて何であらう                                 
   霊魂が肉体に合はせるのみで
   精神が手脚にのみ携わつてゐるのなら
       人には、この試練を課さう―
       汝の肉体が最良の時
       どこまで汝の霊魂はその孤独な行路において、この試練に耐へうるか、と
   
ⅸ  されど賜物はその効用を証明すべし
       私は過去を認める、霊肉ともに
       力みなぎり、いづれの転機にも完全であつたことを
       耳目はその役割を果たし
       頭脳は全てを記憶した
       心臓は一度ならず高鳴つたではないか
      「生き学ぶことは如何に良きことか」と
   
ⅹ  一度ならずかく告白せり「貴神(なんじ)に誉あれ!
   私は計画の全てを見、
  「私は貴神(なんじ)の計画を完全と呼ぶ
    「力を見た私は、いま完全な愛も見る
  「私は霊止(ひと)であつたことを感謝する! 

  「創造主よ、再創造し、全からしめ給へ―貴神(なんじ)のなし給ふことに

        委ねまつる」と

xi     この肉、楽しきが故に
        我らの霊魂はその薔薇の網の中にて
        この世に惹かれつつも、尚も安息を恋ひ慕ふ
        我ら高貴なるものを所持せんと願ふ
        獣の持つかかる多彩な魅惑に
        対抗せんがため ― 我ら最善をなしし如く、最大を得ん!
   
xii    かかることはおくびにも出すまい
      「今日この肉に抗して
      「我、励み、前進し、だいぶ進歩せり」と
       鳥が羽ばたき歌ふ如く
       かく叫ばしめよ「全て良きものは我らのものだ、
       肉が霊魂を助けるやうに、いま霊魂も肉を助けるのだ」と
   
xiii   かかる故に老年を招き
   青年の嗣業を与へん
   人生の闘争、その終はりに達したれば
       これより先、私は進みゆかん、一人の霊止(ひと)と認められ、
       進化した獣からは永久に解脱したものとして
       まだ芽生へたばかりなるも、一人の神として

xiv   さればここで一休みせん
       もう一度(ひとたび)勇敢な新しい冒険に旅立つ前に
       怖れも、戸惑ひもない
       次の戦ひを為すときは
       いかなる武器を選ばうか、いかなる鎧をつけんか、と

xv    青年期を終へて
   その損益を測らんと思ふ
       火は灰を残すが、残るべきものは黄金
       その目方を量らう
       人生を褒めも咎めもしやう
       若い時は全て論争に明け暮れる
       老ひて今真相を知る
   
xvi    見よ、夕暮れが閉ざす頃
       一日の区切りをつける一瞬
       灰色の空より夕映えの輝きを呼び戻し
       西の方よりひとつの囁きが射し込む
      「この日をかの日々に加へよ

       この日を取り入れ、その価値を調べよ
       かくて一日が去りゆく」と

xvii  かく人生の戦闘を超越したが
       なおこの世にある間に
       私に見分け、見比べ、つひに断言せしめよ
      「この憤怒は概ね正しい
       あの黙従は空虚であつた
       過去を検証した今、私は未来に立ち向かい得る」と

xviii 今日学んだことを明日行おうとする
   力なき魂の者に
       為すべき業は残されていない
       ここでは師匠の業を見つめ
       適切な技巧のヒントをつかみ
       道具の真の使ひ方のコツをつかめば充分だ
  
xix   これは良きことであるから、青年は
  その為すところは拙くとも、既製の物に安住するよりも
   創作に向かつて努力すべきだ
   然り、老ひては
   さらに試みるよりは、闘争より免れて
   分別を持つことこそ良い
       汝は老年を待つた、怖れず死を待て
   
xx   今や充分だ、もし義と善と無限を
       汝、己が手をわが物と呼ぶ如く
       絶対知にて
       名付け得るならば、
       群がる若者たち、愚か者の論争に左右されず、
       孤独感を持つこともなし

xxi   きつぱりと、小人と偉人を
   峻別せしめよ
       各々過去の立場を明言して
       いずれが正しいか、この世が非難したこの私か
       それともわが霊魂が潔しとせざりし彼らか、
       老人に真理を語らしめ、そして最後は我らに平安を与へしめよ

xxii   今、誰が仲裁してくれるのか
       10人が私が憎悪することを愛し
       私が追求してゐることを避け、私が受容するものを侮辱する
       10人ともその目、耳は私と同じ
       我らは全て推測するのみ
       彼らはこのこと、そして私はかのことと
       わが霊魂は誰を信ずべき

xxiii 「事業」と呼ばれる俗受けする仕事量に
   業績、人目を引くこと、高値がつけられたこと
       この低レベルの世がその手を置いた基準から
       直ちにウケること、たちまち評価されることに
       判断を下すべきにあらず
  
xxiv されど、この世の粗雑な親指と指が
       測り損ねて、重要な報告書の作成にて見過ごした全て
       未だ熟さない直感のすべて
       確信のもてない決意のすべて
       それはその人の業績とは見なされないが
       それでもその人の意義を増すのだ
  
xxv  狭苦しい行為の中に
   盛り込め得ない思想
   言葉からはみ出て、逃れくる想ひ
   私がなり得なかつた全て
   人々が無視した私の全て
       これこそ、私が神に対して価値あるのだ
       神の轆轤(ろくろ)がこの壺を形造つたのだ

xxvi 然り、あの神の轆轤(ろくろ)を見よ
   あの隠喩(メタファー)を!そして感得せよ
     なぜ時は早く回転するのか、なぜ我らの土塊は受身なのかを
       汝に、愚か者はかく公言する
       酒が一座にまわると
       「人生は逃げ去る、全ては無常である
       過去は終わつた、今日を掴め」と
    
xxvii  馬鹿な!いやしくも実存(あ)るものは全て
     永久(とは)に永らへ、過去は消えることはない
       地は変はる、しかし汝の霊魂と神は確(かた)く立つ
       汝を形造つたもの
         それこそ嘗(かつ)て実存(あ)り、今実存(あ)り、

         またこれからも実存(あ)り続けていくものだ
         時期(とき)の轆轤は逆転も止まることもある
         陶器師と土塊は持ちこたへる

xxviii  神は汝をこの円舞(ダンス)の中に据ゑた
         この柔らかな環境の中に
         げに汝好んで捕らへんとするこの現在(いま)こそ
         汝の霊魂にその向かふところを与へ
         汝を試み、充分に刻印し送り出すための
         機関なのだ

xxix   土台近く享楽を刻む初期の溝
       もはや止まることも印することもなからんか
       また汝の縁あたり
         いかめしい形相の髑髏(どくろ)、現れ出
         更に厳(いか)めしく、峻厳な刻印に身を任すとも何かあらん

xxx    汝、下を見ず上を見よ
   汝、主の盃(さかずき)よ
   宴(うたげ)の筵、ランプの煌めき、ラッパの響き
         新しき酒、泡立ち流れ
         主の赤き燃ゆる唇!
         汝、天の全き盃よ、いかで地の轆轤(ろくろ)を要せんか
  
xxxi   されど我、今かの時の如く
     貴神を要す、人を形造りし方よ
         爾来、風逆巻き荒れ狂ふ最悪の時も
         目も眩むばかりのおびただしい形、色合ひの
         人生の轆轤に縛られし時も
         貴神の渇きを癒すため
         わが目的を誤らざりき
xxx ii されば汝の作品たる我を取りて用ひ給へ
     潜める欠陥を、素地の傷みを
       聖意(みこころ)からずれた歪みを
         修正し給へ
         わが時は汝の御手のうちに
         ご計画の通り、この盃を全からしめ給へ
         老年に若年を認めしめ、死をもつて老年の完成となし給へ
     


参考資料
Houghton, Mifflin & Co.(1895), THE COMPLETE POETIC AND DRAMATIC WORKS  

  OF ROBERT BROWNING
Edward Berdoe(1899), Browning AND THE CHRISTIAN FAITH, GEORGE ALLEN &  

  UNWIN, LTD.
W.Hall Griffin (1938), THE LIFE OF ROBERT BROWNING, METHUEN
Browning(1967), SELECTED POEMS OF ROBERT BROWNING, KENKYUSHA
Browning(1967), Men and Women Vols. I & II , KENKYUSHA
帆足理一郎(1922), 人生詩人ブラウニング,  洛陽堂
畔上賢造(1925), 宗教詩人としてのブラウニング,  警醒社書店
大山毅 訳(1966), ブラウニング 男と女,  鷺の宮書房
大庭千尋 訳(1975)ブラウニング・男と女,  国土社
手島郁郎(1981)老いゆけよ、我とともに, キリスト聖書塾

 

長野県英語研究会「会誌」第28号(平成15年度)より