サウロ

                               小山文夫訳

                          


アブネル言ふ「ついに汝、来たれり! 
我言ふ前に、汝語る前に、
わが頬にキスを! わが平安を願へ!」
かくて我それを願ひ、彼の頬にキスをせり。
かくて彼言ふ「おゝ友よ、汝の顔色を窺はんために
國王、使ひを使はしてより
我ら飲み食ひせじ
國王、健やかにゐまし給ふと
彼の幕屋より汝喜び溢れて
帰りくるまで
我ら蜜にて唇を輝かせ
水にて潤そうや
黒き幕屋の真中、静寂より
三日の間
祈りと讃美の音ひとつ
汝の召使ひたちには洩れ出でず
サウロと御霊、戦終え
勝利に力抜け
君主、生に沈むしるしなり

 


されど今、わが心は躍る、おゝ愛する者よ
神の子よ、汝の優美な金髪はかの露に濡れて
あの手折れる菖蒲(あやめ)の花は尚も生き生きとして青く
汝の琴弦に絡み纏(まと)ふ
あたかも荒野が砂漠の地に激しく拷問を加へやうと
荒れ狂うことなどなきが如し!」

 


かくて我、作法に則り
わが先祖たちの神に跪き
しかして起き上がり
粉と焼けた砂の上を奔りけり
幕屋は紐が解けてあり
我、遮る槍を抜き上げ、身を屈め下を通れり
全て枯れ果てし滑らかな草の上
四つん這ひにて次の間に
手探りして進み行き
ついに幕屋の裾の開けあるを知りぬ
しかして今一度、我祈れり
かくして我裾を開け、入りぬ、恐れることはなかりき
されど、言へり、「ここに汝の僕、ダビデあり!」と
しかして返答はなかりき
初め、我、暗闇のほか何も認めざりしが
程なくしておぼろに見たり
黒そのものよりも黒きあるものー
巨大な直立せるもの
大天幕を支へる大黒柱
徐(おもむろ)に姿となりて
寄りかかる人影顯れり
何にも増して厖然(ばうぜん)にして黝然(さうぜん)なり
その時、日差し、幕屋の屋根を貫いて
サウロを示せり

 

4 以下準備中