Ise Shrine

ここには全ページに

共通の項目が表示されます。

 

<利用例>

What's New!

 

<利用例>

お問合わせはこちらから

What's New

 イザヤ書第7章   

 

1 ユダの王*1ウジヤの子ヨタムの子、*2アハズの時代のことである。*3アラムの王、レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、戦ひのため、エルサレムに上つて来たものの、勝利を得ることはできなかつた。2 アラムがエフライムに留まつてゐると言ふ知らせがダビデの王家に伝えられると、王の心とその民の心は、森の木々が風に揺らぐやうに動揺した。
3 そこで(ヤハウェ)はイザヤに語られた。さあ、汝と汝の子シェアル・ヤシャブ、布さらしの野に通じる路にある貯水池の水路の端にゐるアハズの所へ出て行け。4 そして彼に告げよ。注意深くし、穏やかであれ。恐れるな。アラムのレツィンとレマルヤの子が激情しやうとも、こんな二本の燻つた燃えさしの木っ端の故に、弱気になつてはならない。5 アラムが汝に対して悪事を企て、エフライム、レマルヤの子がかう言つてゐる。6 我らはユダに上り、威嚇し、突撃し、我らのものとし、タベアルの子を王としてその中に立てやう、と。
7 わが主(アドナイ)なる(ヤハウェ)はかう言はれる
   不立、不成
8 アラムの頭(かしら)はダマスコ
   ダマスコの頭(かしら)はレツィン
   あと六十五年のうちに
     エフライムは民として滅びる
9 エフライムの頭(かしら)はサマリヤ
   サマリヤの頭(かしら)はレマルヤの息子
   汝ら、信なくば、立たず
10  重ねてアハズに語つて言はれた。11 汝の神、(ヤハウェ)からの徴を求めよ(シェアル)、陰府に(シェアらー)向かつて掘り下げ、上に向かつて高めよ、と。 12 アハズは言つた、私は求めない、私は(ヤハウェ)は試みない、と。 13 それで*10彼は言つた、さあ、聴け、ダビデの家よ、あなた方は人々を*11ウンザリさせて、平氣なのか、誠にあなた方は我らの神をもウンザリさせてゐる。14 それ故にわが主(アドナイ)は自ら汝らに徴を与へられる。観よ、乙女が妊(みごも)り、男の子を産み、彼女はその子をインマヌエルと名付ける。15 彼は凝乳と蜜を食べ、悪を退け、善を選ぶことを知るやうになる。16 まことにその子が悪を退け、善を選ぶことを知るやうになる前に、汝が恐れる二人の王たちの土地は捨てられる。17 (ヤハウェ)は汝の上、汝の民の上、汝の父の家の上にエフライムがユダを離れた日以来、臨んだことのない日々をもたらす。アッシリアの王だ。
18 その日(ヤハウェ)はエジプトの河川の果てにゐる蠅(はえ)と
  アッシリアの地にゐる蜂に合図を送る
19 すると、彼らは大群をなしてやつて来て
  どの茨にも、どの水場の茨にも
  峡谷や岩の裂け目に宿る
20 その日、わが主(アドナイ)は河の彼方で
  雇はれた剃刀(かみそり)で髭を剃る
  アッシリアの王を使つて
  頭と両足の毛と顎髭(あごひげ)を除き去る
21 その日、人(イーシユ)は牛の群れから雌の子牛一頭を
  羊の群れから二頭の羊を飼ふ
22 乳をたくさん出すやうになるので
  凝乳を食べるやうになる
  まことにその地に残されたすべての者は
  凝乳と蜜を食べるやうになる
23 その日、銀一シケルに値する
  千本の葡萄の木のあるそのすべての場所は茨、荊棘(おどろ)となる
24 彼は弓を持ち、矢を持つてそこに入る
  まことに全地は茨と荊棘(おどろ)となる
25 鍬で耕されたすべての山々に
  汝は茨と荊棘(おどろ)を怖れて、踏み入ることはない
  そこは雄牛を放つ所、雄羊の踏む所となる

*1 南ユダ王国のウジヤ王(アザリヤ)(787-736)。聖書大辞典(教文館)による年号。

*2 アハズ王(744-729)、南ユダの王。

*3 アラム(ダマスコ)の王レツィンרְצִין(レヂィン)、シリア・エフライム戦争において、北イスラエル王国のペカと同盟を結び、エルサレムを征服しようとした。

*4 レマルヤרְמַלְיָהוּ(レマレヤフ)、1QISa(死海文書)ではרומליהו、七十人訳ではΡομλιαςと記されている。列王下23-25によると、「ペカフヤ王が主の目の前に悪を行い、彼の侍従、レマルヤの子ペカが謀反を起こし、ペカフヤとアルゴブとアルエを撃ち殺し、ペカには五十人のギルアデ人が加わって、彼が王になった」。ギルアデ人というのは、ヨルダン河東のギルアデと呼ばれる地域に住んでいた人々。アモス一2はダマスコの罪のひとつとして「ギルアデを踏みにじったこと」をあげている。

*5 イスラエルの王ペカ(735-732)、列王下十五27に「二〇年間王であった」とあるが、列王下十五19の記事によると「アッシリアの王テグラテピレセル3世(即位名プル)が北イスラエル王メナヘムの下に来たときはBC738年であり、ペカを滅ぼしたホセアが王となったのは、BC732年であったことから、ペカの治世はその間BC737-732年頃としか考えられない。ペカは王家の子ではなく、王に仕える侍従(「第三の者」の意味を持つ)שָׁלִישׁ(シャりーシ)であって、ギルアデ人と結託して、反逆し、前王のペカフヤ一派を一掃した正義の勢力であったのかもしれないが、彼はその後、主の目に悪を行ったことを列王下十五28は記している。聖書は人間の正義ではなく、どこまでも神の前における義を貫き通している。

*6 イザヤが王に直訴できる立場にいたと思われる。

*7 シェアル・ヤシャブ שְׁאָר יָשׁוּב「残りの者は還る」の意味。

*8 布さらしכוֺבֵס(ほヴェス)「布をさらす(踏んだり打ったりして洗う)」「布さらしの野」はエルサレム場外の東側、ギホンの泉の近くにあった。

*9 タベアルטָבְאַל、南ユダ、アハズ王時代のシリア人。

*10 「彼」はイザヤ。

*11 「ウンザリさせる」הַלְאוֺת(ハルオット)√形לָאָהのヒフイル態不定詞。「疲れさせる・疲れきらす・煩わす」の意味で、もとは「疲れる・我慢できない」の意味。